さかのぼること40年余りの昔、1984年の暮れ。ダイスケ青年は初海外のナイロビにいた。イクバルホテルに泊まった翌朝、同行のJさんに連れていかれたのは、リバーロードから横道に入ったところに軒を連ねるバラック飯屋街。ビニールシートに覆われた安飯屋。席に着くなり、おにいちゃんがヤカンを手にやって来る。水かと思いきや、目の前のカップに注がれたのは甘いミルクティー(チャイ)。間をおかず、皿の上にアンパン大の揚げパン(マンダジ)がふたつ。座ったら勝手に出てくるこのメニューが、当時数十円だったとか。前川健一さん著の東アフリカ・ガイドブックによると、この辺りのバラック飯屋はキクユの人たちが経営していたようだ。